前編)球界に激震・・・元タイガース監督の星野仙一さん、死去

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こんにちはフクロウの瞳です。

今回から、タイガースの情報を書いていこうと(昨シーズンの振り返りから)と考えていましたが、急遽変更しました。新年早々、そして私がブログを始めた2018年1月4日に、元阪神タイガース監督で、近年は東北楽天ゴールデンイーグルスのシニアアドバイザーや取締役副会長を歴任された星野仙一さんがすい臓がんのため亡くなられました。70歳(個人的にはまだまだ若いと感じます)。ご冥福をお祈りします。

これを受け、星野さんの選手・監督時代を含めた足跡を見ていこうと思います。

1.プロフィール

  • 氏名:星野仙一
  • 出身:岡山県(倉敷市)
  • 経歴:選手時代・倉敷商業(岡山)ー明治大学ー中日ドラゴンズー(1969ー1982)

:引退後(所属球団)・中日ドラゴンズ(主に監督)ー阪神タイガース(〃)ー東北楽天ゴールデンイーグルス(〃)

  • 投打:右投右打
  • ポジション:投手
  • 背番号(選手時代):「22」ー「20
  • 成績(選手時代):通算・500試合 投球回数2128,2/3回 146勝121敗34S(セーブ)勝率.547 奪三振数1225個 自責点851点 防御率3.60 WHIP1.23
  • 〃(監督時代) :通算・2277試合 1181勝1043敗 勝率.531 Aクラス10回 Bクラス7回 リーグ優勝4回 日本一1回
  • その他:・野球殿堂入り(2017年)

・2008年に行われた北京五輪で監督を務めた(結果は4位)

・打撃成績は投手基準としては高い(通算654打数134安打 打率.205)

・現役時代(中日)、100勝・1000奪三振・500試合登板、などの節目の記録を達成した相手はタイガース・・・

・2003年、新語・流行語大賞に選出・トップテン入り(「勝ちたいんや!」)

2-1.現役時代

1968年、プロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから1位指名を受け、プロ野球生活が始まりました。背番号は星野さんが憧れていたタイガース投手の村山実さんの背番号「11」の倍の数字である「22」(11番は空いていなかった…)。

入団1年目から8勝を挙げるなど、活躍します。3年目の1971年に中日のエースナンバー(背番号)である「20」に変更(エースナンバーの系譜の原点となったのは、通算215勝を挙げた杉下茂さん。縁があるのか、星野さんと同じ明治大学出身)。

1974年、その年に新設された最多セーブのタイトルと投手最高のタイトルである沢村賞を獲得し、チームをリーグ優勝に導きました(これがそれまで9回連続優勝、通称「V9」を達成し、「V10」を狙っていた巨人の野望を打ち砕いたリーグ優勝)。

1977年には、自己最多の18勝をマークしましたが、その5年後の1982年、チームのリーグ優勝を機に現役を引退します。

その前年から投手コーチを兼任していたこともあり、「球団に残留するだろう」と言われていましたが、そのままチームを離れました。

引退の際、マウンドへ花束を届けたのは歌手・小田和正さんでした(親友とのこと)。

2-2.プレイスタイル

現役時代、チーム事情もあり、先発リリーフのどちらもこなす万能型の投手でした(通算146勝34Sという数字が物語ってる)。

当時はV9を達成した巨人の時代でした。「ON」と呼ばれる王貞治長嶋茂雄が主力として活躍した巨人を相手に星野さんは活躍します。35勝31敗と勝ち越し勝ち越し4を記録(「なんだ、大した数字ではないじゃないか」と言われるかもしれません。ただ、相手はONを中心とした強力打線。素晴らしい成績です)。ここから、「巨人キラー」と呼ばれました。

また、巨人同様か、それ以上に強かったのはタイガース相手です。対巨人を上回る36勝を記録。プロフィールでも記載したように、節目の記録達成にはタイガースが絡んでいます・・・

予想以上に長くなりました。次回、星野さんの監督としての功績をみていきます。

では、この辺りで By for now!

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